1990年初演時に作者の斉藤珠緒さんがパンフレットに寄せてくださった文章です。

わが国の昭和三年における初めての陪審裁判は『十二人の−』のそれのように、一般庶民にしっかりと根のはえたものではありません。大日本帝国憲法下に生き、陪審裁判におけるデモクラシーの精神(実際にはデモクラシーは完全に貫かれていませんでしたが)を十分理解できない、それどころか裁判所の建物すら見たことのないお百姓、床屋、そば屋などがより集まるのです。そして彼らは一様に戸惑います。なぜ自分のような素人が、裁判官の役目なんかしなければならないんだ。人を裁くなんて畏れ多い。そんなことが出来るものか−またある者は「姦通した女なんて」と、公正な判断もどこへやら、初めから色眼鏡で見たりします。

しかし討論を重ねていくにつれ、年齢、職業、生活環境も異なるバラバラだった十二人は、自分達の立場を次第に理解し、団結し、事件の真相を見極め、陪審員の役目をまっとうしようとします。

この十二人の心情が変化していく過程が、作品のいちばんの見どころであると、私は自負しています。

(初演パンフレット「演劇化にあたって」より抜粋)