巴里に来て2週間が経った。何とか町にも少しづつ慣れてきたように思う。人間の適応力に驚くばかりである。ただ単に俺が人一倍臆病で、且つ図々しいだけかもしれないが。最初は兎に角全てが怖かった。地下鉄に乗っても皆泥棒に見えるし、眼が会う奴等は「東洋人が!!」って思ってるように思えて、とにかく鞄を持つ手は汗かくくらいに握り締め、背後に誰も立たないように、それこそゴルゴ13のように神経を張り巡らせていた。人種差別者では決して無いが、アフリカ系の黒人の人が多くて、見慣れないせいもあるのだろうが、とにかくでかくて顔が怖い。とにかく巴里は人種の坩堝ですごくいろんな顔と出会う。手塚治虫の漫画の顔がデフォルメでもなんでもなく、まんまゴロゴロしている。しかも濃い。顔だけでその人物の人生を勝手に想像出来て楽しいが…。
アパートに移った日には近くのスーパーに出かけて、何とか買い物も出来て帰ってきたら、エントランスのドアの暗証番号をメモした紙を部屋に忘れてきた。大きな買い物袋を二つ下げたまま呆然とした。アパートを紹介してくれた友人の電話番号を書いたメモも部屋の中だ。残る手はその友人の家に行って聞くしかない。買い物袋を下げたまま地下鉄に乗り込む。もし、今何かあったらパスポートも持っていない、連絡出来るところも無い、友人が外出していたらエントランスの前で膝を抱えて何時とも解らぬ帰りを待つしかない。引っ越し祝いなどと洒落込んで買い込んだビールとワインがやけに重いし、本当に情けなくて泣けてきた。巴里の地下鉄は基本的に手動で開ける、そんな状態だったからそんなことも忘れていてドアが開かなくてパニクッていたら黒人の女性が親切に身振り手振りで「レバー上げるのよ。」と教えてくれた。結局友人は在宅していたので事無きを得たが、あの時は生きた心地がしなかった。その後も小学1年生くらいの女の子に「ムッシュー」と話し掛けられて逃げたり、レジで笑って誤魔化したりしたが、まあ何とか暮らしている。巴里も地下鉄は東京程では無いがやっぱり込んでいる。人とぶつかったり道を空けたりするが、皆「パードン」「メルシー」と声を掛け合う。それはとても気持ちの良いものである。日本人は近頃そんなことも忘れがちだな、ふとそんなことにも気づかされる。
そう言えば、14日からブンナが始まる。思えば今巴里にいるのもブンナをニューヨークでやったのが大きなきっかけだ。そして今日本を離れて仏蘭西にいる俺は、まさに椎の木の上のブンナだ。帰った時にどんなことを皆に伝えられるのだろう?
口先だけでは無い、声も含めて肉体を使った芝居は美しい。欧羅巴の常識だ。いつかブンナが巴里で上演されることを願って止まない。きっと素敵な芝居になっていると信じている。今度のブンナが見れなくて一番悔しいのは俺かもしれない。成功を巴里より祈る。
大家仁志
2006年10月12日
アパートに移った日には近くのスーパーに出かけて、何とか買い物も出来て帰ってきたら、エントランスのドアの暗証番号をメモした紙を部屋に忘れてきた。大きな買い物袋を二つ下げたまま呆然とした。アパートを紹介してくれた友人の電話番号を書いたメモも部屋の中だ。残る手はその友人の家に行って聞くしかない。買い物袋を下げたまま地下鉄に乗り込む。もし、今何かあったらパスポートも持っていない、連絡出来るところも無い、友人が外出していたらエントランスの前で膝を抱えて何時とも解らぬ帰りを待つしかない。引っ越し祝いなどと洒落込んで買い込んだビールとワインがやけに重いし、本当に情けなくて泣けてきた。巴里の地下鉄は基本的に手動で開ける、そんな状態だったからそんなことも忘れていてドアが開かなくてパニクッていたら黒人の女性が親切に身振り手振りで「レバー上げるのよ。」と教えてくれた。結局友人は在宅していたので事無きを得たが、あの時は生きた心地がしなかった。その後も小学1年生くらいの女の子に「ムッシュー」と話し掛けられて逃げたり、レジで笑って誤魔化したりしたが、まあ何とか暮らしている。巴里も地下鉄は東京程では無いがやっぱり込んでいる。人とぶつかったり道を空けたりするが、皆「パードン」「メルシー」と声を掛け合う。それはとても気持ちの良いものである。日本人は近頃そんなことも忘れがちだな、ふとそんなことにも気づかされる。
そう言えば、14日からブンナが始まる。思えば今巴里にいるのもブンナをニューヨークでやったのが大きなきっかけだ。そして今日本を離れて仏蘭西にいる俺は、まさに椎の木の上のブンナだ。帰った時にどんなことを皆に伝えられるのだろう?
口先だけでは無い、声も含めて肉体を使った芝居は美しい。欧羅巴の常識だ。いつかブンナが巴里で上演されることを願って止まない。きっと素敵な芝居になっていると信じている。今度のブンナが見れなくて一番悔しいのは俺かもしれない。成功を巴里より祈る。
大家仁志
2006年10月12日