
アパートに移った日には近くのスーパーに出かけて、何とか買い物も出来て帰ってきたら、エントランスのドアの暗証番号をメモした紙を部屋に忘れてきた。大きな買い物袋を二つ下げたまま呆然とした。アパートを紹介してくれた友人の電話番号を書いたメモも部屋の中だ。残る手はその友人の家に行って聞くしかない。買い物袋を下げたまま地下鉄に乗り込む。もし、今何かあったらパスポートも持っていない、連絡出来るところも無い、友人が外出していたらエントランスの前で膝を抱えて何時とも解らぬ帰りを待つしかない。引っ越し祝いなどと洒落込んで買い込んだビールとワインがやけに重いし、本当に情けなくて泣けてきた。巴里の地下鉄は基本的に手動で開ける、そんな状態だったからそんなことも忘れていてドアが開かなくてパニクッていたら黒人の女性が親切に身振り手振りで「レバー上げるのよ。」と教えてくれた。結局友人は在宅していたので事無きを得たが、あの時は生きた心地がしなかった。その後も小学1年生くらいの女の子に「ムッシュー」と話し掛けられて逃げたり、レジで笑って誤魔化したりしたが、まあ何とか暮らしている。巴里も地下鉄は東京程では無いがやっぱり込んでいる。人とぶつかったり道を空けたりするが、皆「パードン」「メルシー」と声を掛け合う。それはとても気持ちの良いものである。日本人は近頃そんなことも忘れがちだな、ふとそんなことにも気づかされる。
そう言えば、14日からブンナが始まる。思えば今巴里にいるのもブンナをニューヨークでやったのが大きなきっかけだ。そして今日本を離れて仏蘭西にいる俺は、まさに椎の木の上のブンナだ。帰った時にどんなことを皆に伝えられるのだろう?
口先だけでは無い、声も含めて肉体を使った芝居は美しい。欧羅巴の常識だ。いつかブンナが巴里で上演されることを願って止まない。きっと素敵な芝居になっていると信じている。今度のブンナが見れなくて一番悔しいのは俺かもしれない。成功を巴里より祈る。
大家仁志
2006年10月12日