10413211.jpg先週あたりから急に寒くなってきた、朝晩の冷え込みが凄い。緯度的には北海道くらいだから当然だが、何だか日本の一月くらいな寒さだ。サボっていた分取り戻そうと思い日記を書く。
学校は巴里郊外のSCEAUX(ソウ)という街にある。巴里とは違って、静かな映画に出てきそうな美しい街だ。今年からここに学校が移ってきた。
 十月二日から学校が始まった。一年の始まりの日だ。自然、身も心も引き締まり準備万端整えて余裕を持って家を出る。早く着き過ぎるかな?と思いつつも、初めての場所だからと用心して出発した。授業は二時開始だ。しかし、思ったより乗り換えとかに時間を食い、それでも15分位前には着くだろうと車中で時計を気にしている時に放送が入る。何言ってるのか良く聞き取れないが、嫌な予感。案の定、電車は止まって動かない。「ヤバイ、このままでは初日早々遅刻してしまう。時間にはうるさいはずの日本人の名誉のためにも遅れるわけにはいかない。動け!」祈りが通じたか動き出した。まだ駅から走れば間に合うだろう。しかし、また放送が入る。何言っているのかやっぱり聞き取れないが、さっきと同じことを言っている。やっぱり次の駅でも止まった。「おいおい、もうギリギリだぜ、初日から大失態かよ?動け!」またまた祈りが通じたか動きだした。が、遅い!明らかに徐行運転している。「何でこんな日に限って、神も仏も無いのか?」と思った時、時計は二時を指していた。「駄目だ、もう間に合わない。時間にうるさい日本人の名誉に傷をつけてしまった。西洋人どもに日本人は時間にルーズだとレッテルを貼られてしまう。もう腹かっさばいて詫びるしかあるまい!」と悲壮な思いで窓の外を眺めていたら乗り換え駅に着いた。ここで乗り換えて一駅だ。まだ何とか10分15分の遅れで済みそうだ。次の電車に乗り込む。着いた。「駅の名前はPARK DE SCEAUX と書いてあるが、SCEAUXって書いてあるんだからここで良いんだろう?」駅からの地図は持っている。歩いて10分くらいだ。走る準備して改札を駆け抜けた。「あら?」地図と道路が一致しない、眼の前には公園が広がっている。別に改札があるのかと捜したが、改札は一つだ。地図を逆さにしたり見る場所を変えて見てみるがどうしても一致しない。「ここじゃないのか?」路線図を見たらやはり別の駅だった。「終わった。もうどうしたって30分は遅刻だ。このまま日本に帰ってしまおうか?」もう一度反対方向の電車に乗って乗り換え駅に戻る。ホームで待つが同じ方向行きの電車しか来ない。「待てよ、もしかしたら別のホームかもしれん。」別のホームだった。西部池袋線の豊島園みたいな線だったのだ!暫くして電車が来た。もう半分どうでもよくなりつつ電車に乗る。着いた!今度こそ本物のSCEAUXだ。駅前の地図も一致している。再度元気が出てきた。ダッシュだ。一番の近道を選んで走る。ちなみにこのルートは今クラスメートには「ヒトシルート」と呼ばれている。着いた。どの建物だ?確かフランステレコムのビルの中と聞いたが、どこにもそんな看板は無い。地図では絶対にこの辺りなんだが。仕方が無い、小さなスポーツジムみたいなところのインストラクターの兄ちゃんに聞く「ここはここか?」「向かいだ。」しかし向かいには普通の建物があるだけで学校の看板も何も無い。ウロウロさがしまわっていたら、外人の女の子が紙持ってウロウロしていた。若しやと思いきや、「フィリップ.ゴーリエ?」と聞いてきた。同じような奴がここにも居た。嬉しくて抱きしめたくなった。で、ふと見ると普通の建物のドアにノートを破ってボールペンでフィリップゴーリエと書いてあった。「…こんなもんわかるか?!!」結局着いたのは3時を回っていた。一時間の遅刻だ。当然授業は始まっており、遅れてすいませんと入っていったら、もう一人日本人の女の子がいるんだが、彼女もつい今しがた着いたらしく、「日本人は何教わってきたんだ?」と大笑いされた。人の苦労も知らんと、と思ったが一緒に笑っておいた。授業はル.ジュ、ゲームと言う意味だ。椅子取りゲームをやっていて、座れなかった奴は何でも良いから何かやる。とっさに思い付き、「与作」を朗々と歌い上げてやった。拍手喝采だった。ざまあ見ろ!そのおかげか、終わった後も「君の歌は素晴らしいな。」とクラスメートも寄って来て、まあ遅刻の汚名も挽回出来たというわけだ。その後人数が多いので午前と午後のクラスに別れた。当然午後のクラスにした。(何が当然なのか解らんが)日本人の子は午前に行ったので、授業は外国人の中にたった一人だ。大変だが刺激的で楽しい。毎日いろんなゲームをやったり、即興で何かやったり、その後も二回ほど歌を歌ったが、「津軽平野」と「そっとおやすみ」だったが、いつも絶賛された。で、学校も始まって二週間も経った頃、教室のオープニングパーティがあったんだが、フィリップ師匠(皆マエストロと云うので)が「ヒトシ、パーティでも歌うか?」と聞くので「歌えと言うなら歌うよ。」なんて適当に答えたら当日、来賓や市長さんや二年生、一年生総勢100人位のパーティで歌わされた。しかも、余興で唄うんだと思っていたら、オープニングの市長の挨拶のすぐ後、セレモニーのように、ゲスト歌手のように指名された。流石の俺も少しびびったが「津軽平野」を二番まで民謡調に歌い上げてやった。もちろん大喝采だった。多分誰も唄の意味は解ってないが。
 毎日愉快な仲間と楽しくやっている。何かが自分の中で変わっていっているような気がする。

大家仁志
2006年11月7日